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風がふくとき、事故のように思い出す景色がある

 

 

 

お知らせ

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ーー

ソロダンス「求愛・口づけ」

 

さっきまで天気だった

突然空気が冷たくなり、風が吹き出した

奴が来る!

太陽を背に、風を巻いて。

そうだ、暴風、まるで台風の様にグラウンドのフェンスは軋んだ。

小さな枝なんて折れて吹っ飛んでら!

田畑は狂わんばかりに揺れ、街はずぶ濡れだ。ビシャーン!ビシャーン!(雷)

俺は高台からカモシカの様にそいつを眺めていた。

もう追い詰められてね。無視できなくてね。

俺は下駄ぬいでグラウンドの真ん中まで突っ走ったよ。

あんなに乾いていた街が

今では奴に踊らされているんだ。

暖かいションベン突っ立ったまましたよ。土と一緒に身体に塗って、あぁ、あったかいなって。

 

お前もいたらな

 

踊ったろうな

 

生きてるかい?

 

ーー

8月4日(金)

知念大地ソロダンス

「求愛・口づけ」

場所/中野plan-B

開演/19:30-(開場は10分前)

前売り2,500円 当日3,000円 ※チケット予約受付は7月4日10:00開始。

予約はdaichifly.work@gmail.comまで。

-1-2

 

※ソロダンス公演、無事終了いたしました。

 

 

 

知念大地

知念大地 エッセイ

 

「遊びの王さま」作:ちねんだいち

 

ある学校に遊びの王さまがいた

王さまは遊ぶのが得意だった

でもだれも遊びの王さまがどこから来ているのかを知らなかった。

ある夕方、学校が終わると、子どもたちはこっそりと王さまの後をつけた。

王さまがこの世界のものではないと大人たちがウワサをしていたから。

王さまは街を抜けて、小道をひとり歩いていった

山に入る入り口で 王さまはふりかえり 僕らにニタ~っと笑ってみせた

沈みゆく太陽にてらされ、きらきらひかる樹々や空、王さまのまわりには鳥や虫たちがやってきた。

王さまは ふっと 消えた

その瞬間、樹々や空、鳥や虫、ケモノたちが生き生きと軋んだ

王さまは森だったのだ

 

翌日から王さまは学校に来なくなった。

 

子どもたちはさびしかった。

けれど前より、子どもたちは風に耳をすますようになった

土を見るようになった

樹にさわるようになった

子どもたちはその時、王さまと遊んでいる気持ちになった

 

思えば、王さまの周りには、仲間はずれがいなかった

思えば、王さまはいつも走り回ってくだらないことをしていた

思えば、王さまに話しかけられない子なんていなかった

思えば、王さまは大人のくだらない話の時、いつも僕らの見方だった

思えば、王さまは、遊んでいるようで

僕らの為に生きていたのだ

僕らはそれを知っていた。

 

遊びの王さま

きみにまた僕は

会いたいよ~う

 

 

2016.12.22

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ピカソが好きです。

ピカソのどんな絵よりも「明日描く絵が一番すばらしい」、と言った、ピカソの心が好きです。

2016.1.21

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「少年の飛行帽子」

 

私 は毎日毎日、遊んでいた。

走る車から、走る電車から、私はいつも窓の外に、ひとりの人間をみた。

身体がグニャグニャになりながら、私と並走する白い欠片。

電柱に激突し、倒れ、また 立ち上がり、赤信号で止まる私を背に、追いつかれるであろう未来へ向かい、全速力で走り去る相棒。それが私の、たった1人の友だちだった。

紅 葉実る午後、私は口足らずの鼻を垂らして、掴みかけていた青春を、誰かに宝物のように見せたことがある。

コンクリート打ちっぱなしの地下で。

ただ、認めて ほしかった。威張りたいわけじゃなかった。

下校途中の太陽が、坂道に寝そべっ て、真っ赤なランドセルのあの子を空に焼き付けている…。ボンボンと花火の音が暗闇に咲く。

その膨らみを誰に頼まれたわけでもなく、こころの雑巾で拭っ た。

日だまりの公園にいた、誰も手をかけない手すりを、知っている。

パズルピースのようなニスのくぼみと指、青と白の体育着に声が入る夢。

赤い胸の校章が好きだった。

横に走る登り棒と面影がさするバスケットコート。煮詰まった張板と隅っこの音たちの遠出。。。

僕は他人の不運を願い、烙印を押 される仲間を見ては、いつも、いつも戸惑っていた。

バーン!とはじまったステージの上、一番遠くから私を見た教師はその時、人だった。私はいつも、一人 だった。

実験で作ったサ ラダ菜を宝石のように噛み、敗北に頭突きをかまし、膨れた目玉をあの子に見せびらかしては、動揺ばかりをポケットに入れていた。

嘘をつき、嘘をつき、バッタリといつも寂しさにぶつかった。

楽しさは駆け出すと、必ず切なさにぶつかった。

消しゴムを投げつけ、最後まで皆で無視した、綺 麗で真っ直ぐなよく泣く先生が、みんなみんな好きだった。

誰もいないアパートで流し台によじのぼり、西日をからだに塗りたくっては、アンパンマン歯磨き粉 を食べていた。

「自由時間」が嫌いだった私は、常に誰かに強制的に縛られたいと寂しがりながら、寂しくない演技をし、ただ傘をぶん回していた。

雨上がりの 帰り道には、決まって傘を忘れた。その純朴だけが校舎を七色に染めていた。

雨日は決まって傘先を、壁や車の下や空に向けるから、いつも濡れていた。

空をく りぬいたようなベランダ。室外機の脇、海がそこにあって、悲しみもそこに あった。

私はガラスに鼻を押し当て、この世界と全身で闘っていた。

久しぶりに、母とキャッチボールをしたことがあった。何球かとれなかった私は、母とは 違った方角にボールを投げ、「とれないじゃないか」と言った。

母はグローブを置いて立ち去った。

あの時、私は、自分を裂いていた。

立ち入り禁止の柵内、高 い所から高い所へ飛ぶ遊びを、飽きるまでした。肉を割いて骨が見えるイメージ、それだけを何百枚もあたりに投げた。

ぼんやり繋がれたように、急いで忘れ物 を取りに帰るように、あの子の団地の入り口を、心からかすめた。

赤土校庭の隅で、キーコキーコと剥げた遊具をつまんでは離し、水滴を手のひらでゆっくり ゆっくり払った。

テカテカの銀の袋に入った小さな菓子が食べたかった。遊ぼうと嘘をついては、お菓子だけが食べたかった。

誰かもわからぬからっぽを従え、 私はただ、いつも幻想を見ていた。

***

虫たちが一面すべてを掻き消して、掻き回し て、呼ぶ。

今、私は、悔しかった。

眩しい景色はいつも舌足らずで、どんだけ悔いても悔いても、何を悔いているかを忘れるような、そんな阿呆が情けなかった。

でも、そんな阿呆に私はどうしようもなく惹かれていた。

空間に地面が落っこちて、トントンとボールのように、はねる。

私はトンネルの中、向こう側に張り 付いた秋にまみれた子どもたちのやさしさを、肉肌に刻みこみ、刷り込んだ。

スネのよこが砂利で擦れ、膿が真っ白く浮き上がり、ソックスに口を寄せる。

私は たいせつな肌を剥がすように、君と明日への隙間を覗き見し、また覗いては隠れした。

マンホールのくぼみに溜まった濡れた髪の毛。しっとりとヒンヤリ、冬が 来てるんだぜ。別れの季節がいつも僕 に夢を見せた。

デッサンは一人でに夜の繁華街を歩いて、ハーモニカを吹きながら真っ黒い空を食べ続けている。

そうだろう、地球の果てまで行くと、いつだって、虫とか膝と か、そんなものしかいないから、私は、思いっきり、悲しいよ~って泣く。鳥とか。

置いてかれた網、柄杓、巾着、、

物乞いは、冷たい氷水のよう に、流れていく寂しさを、盗んでいく。だから、冷たい優しさを抱いている。

肋骨の下あたり、そこに青春があって、ユラユラ踊って い るのがわかりますか。

夜、雨上がりの 真っ黒に光ったアスファルトの上に、ビー玉を置いた。

街灯にてらされた少し、変わった景色を寝そべって眺めていた。

私は、私を鉄格子に入れて、いつも、持ち運んでいる。

真っ赤な暗がりが吹き出した、熱のねじれ、ぼく。それは死だ。

何度も美しい瞬間が重なると、ふくれてはじけて身体になる。すると、コタ ツの中にいた、寂しさたちが「たいくつだね、たいくつだね」ってうずくんだ。

私が一番、恥ずかしいのは、自分です。悲しいのも自分です。

つ まずいて、やっと一秒になる。傷なのか、それは。

放心から落っこちる為、その為だけにず~と、塗っている。何かを。何か に。 何でもいいと言った具合に。

鏡を見たって鏡の裏側が映らないでしょ。だから鏡が無かったら、全てが並んで列をなす。

喪服のタグ、もう一方のドレス、新しい 靴紐と履きならした靴の恥じらい。忘れられた温かい弁当。走り去るバスに投げ

込まれた一生咲く花。地球に腰掛けて、草だっ て恋をします。

だからいいんです、と慰めても、どうもやりきれないから私はまた足の毛、手の毛、へその毛、耳の下の太い髪の毛なんかを抜くのかな。 一人で。便所の中、風呂場の中。

芸術とか生活と思いながら。

私は嫉妬深いです。インディアンじゃないですから。

宝物があれば、誰にも渡しませんよ。好きな人だけですよ。そういう寂しさってやつを、暴力が優しい顔して、バシバシ紐解いていくでしょ。

私は丁寧に、右左曲がりながら結局、爪 いじっちゃって、その間に、とられちゃってね。気づいているのだけど手元が気になるフリしてね。

はみ出したそれを、しこたま殴って消した。ずっとずっ と、無視。その絶望を、遠くの空、市営グランドの網の隙間からすくってまた傷口に染み込ませるんですよ。

いろいろな手が、痛くって痛 くっ て。グルグルほおった縄を巻き取りながら、やっぱりあの人とあの人の、肩と肩に掛かった橋を、ゆっくり歩く蟻が風に吹かれて落ちる一瞬を、恋とよび、待ち 構えている。それは美しい。

鎖骨の端っこから背中の、羽根が生えていたらしいくぼみにかけて、斜めに走る直線は、日が沈む間際、紫色に染ま る チチブの山並みを呟く。

帰る理由や別れの条件を大切に持っていた。どうしていいかわからない君と僕が、アクシデントに囲まれて帰れなくなる夢を見ていた。

帰りたいねと言いながら、手をつないで。

私はおおきなおおきな、やさしさに向かって、「会っていたい」と言う。

騒がしい交差点で僕らは不自由で温かい肉を纏いながら、それでも冷たい風にまかれて、一番美しいものを手のひらに託して。。

いのちの 秤は触れるたび、今日を厚くして答えている。ひなたぼっこと押し入れの影で、私は、小さな 願い を握っていた。

ある日、 それをほどいてみた。散らばった棒っ切れで、  あたりを気にしながら  。
2015.11(加筆・訂正 2017.9)
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「ベイビー逃げるんだ」

 

過労で自殺した女性の記事を目にした。とても悲しい。

僕のこのブログを読んでいる人の中にも、会社や身の回りの人間関係に苦痛を抱いている人がいるかと思う。

 

今日は、そんな人に書こうと思う。

僕は高校を卒業して一年間、沖縄のFC琉球(現在J3)というサッカーチームに所属していた。

高校の時からラモス瑠偉氏に気に入られ、東京の家に呼ばれてご飯を食べたり、東京ベルディのサテライトへ沖縄から参加していた時期がある。

そのラモスから直接、沖縄でプロサッカーチームを作るから入らないかと呼ばれ、僕のFC琉球生活は始まった。

当時はまだ県3部リーグで、もちろんギャラも出ない。練習グラウンドもなく、沖縄、那覇にある貯水所の芝生で練習をしていた。

皆、J経験者だったり、若い頃、日本代表ユースの中心人物だったり、実業団の中では群をぬいてうまかったり、そんなメンバーが集められた。ほとんどは県外の人。沖縄のメンバーは、実力も劣っているので居心地が悪く、今思えば何かと笑いのネタにされていた気がする。

メンバーの中には、その後J1に行って活躍した人もいるし、フットサルニッポン代表、ビーチサッカー日本代表で世界大会に出場し、活躍した人もいる。

そのチームで僕はというと、入ってすぐに怪我をし、最年少だったため、買い出しや水汲みばかりしていた。

僕の気持ちは焦るばかり、皆は、不満がたまっているから、いつも誰かが誰かの文句を影で言ったり、誰かをのけ者にしたり、そんな毎日だった。

雑用と気づかいでボロぞうきんのような毎日。治らない足首。若かったので勢いでプレイしてみると、またその夜、酷く痛んだ。

「まだできねぇの?」「嘘なんじゃねーの?」そんな言葉を言われながら、一年を棒に振った。

毎日、行くのが本当に辛かった。練習場に向かう朝、胸が締め付けられ苦しくなってきていた。

強がり、気を張り、他に対するプライドで身を固めた。

気付くと、練習じゃない時間だけが、安らぎに変わっていた。僕は何のために行っているんだろう。

小さな頃から、僕はサッカーしかやってこなかった。

これしかない。これをやめたら、僕じゃない。そう思っていた。

頑張ることでしか道は開けない、先がないと思っていた。

 

ある日、「やめよう」と思った。

その翌日、僕は練習が終わると口を開いた。

「僕、今日でやめます。」

『Jリーグへ』、という夢(その夢が叶う頃、このメンバーの多くは解雇されているであろう事を、皆どこかで知っていた)でチームは必死に結束していた。

僕の発言に、不意をつかれ、皆ポカンとした。

その後、皆、急に優しくなった。

「やめるな」「頑張ろう」とか「明日も待ってるよ」とか。

「雑用をその後、誰がやるのか」その問題が僕より少し上の世代には一気によぎった事だろう。

本当に僕の才能をかってくれた10番リカルドは僕に「もったいない」と何度も言った。

 

僕はやめた。

FC琉球、初めての退団者だった。

 

それからしばらく僕はさまよい、ダラダラ遊んでいた池袋でパフォーマーTOYの「大道芸」と出逢うことになる。

震えるほど、感動した。僕は投げ銭を入れるために並んだ観客の列に入り、お金を入れた後、握手をした。

いつもあの日の感動が渦巻き、当時、居候していた親戚の家がある埼玉のみずほ台から、ない金を叩いて池袋をうろつくも、彼にはついに再会できなかった。

僕は沖縄に戻り、かわいい女の子がいるかもという不純な理由で沖縄キリスト短期大学の「保育科」を目指した。

塾に通い、朝から晩まで勉強した。でも心のどこかで、大道芸が忘れられず、鏡を見てはロボットのパントマイムをしていた。

ある日、眠りに付く前の天井を眺めていたら、「俺は一生このままだ」と思った。

翌日、僕は高校生の頃遊ぶために通った街角に立った。

震えながら差し出した帽子には一銭も入らなかった。

片付けをしていると、一人の小さな男の子がよちよち歩いてきて僕の前に立った。

きょとんとしてその子を眺めると、その子は100円を持っていた。

その子の来た先をたどると、若いお父さんが、「いいよ、いいよ」と言うふうに笑いながら眺めていた。

僕は急いで鞄を開き、帽子を取り出した。膝をつき、男の子に差し出す。

そのお金の重たさが、今日の僕を支えている。

 

僕は静かに大道芸人を始めた。上京し、新宿で小突かれ、駅前でもまれながら、時折沖縄に戻り、北谷町美浜でパフォーマンスをする日々。マンガ喫茶、カプセルホテルから路上に通い、公園に寝たこともしばしば。。

飲み物をごちそうしてくれた乞食のおじさんもいた。

「ホントはビールあげたいんだけどな、金なくてな、ごめんな」といって、「頑張れよ」と僕に言った。

 

そんなある日、

後ろのベンチでFC琉球メンバーの一人(中心人物・よく僕をいびった人、僕との折り合いが悪かった)がじっと見ていた。

僕がやめてから3年ぐらいたっていただろうか。

パフォーマンスの後、彼は歩いてきて、僕の帽子に千円札をいれ、「カッコ良かったよ」と言った。泣いていたようだった。

 

みんな、みんな、もがいてる。

 

もしきみが優しくなりたかったら、きみが突き抜けるしかないんだよ。

いつかきみが、皆が楽しめる場所をつくれたら、なんて素敵なことだろうと思うよ。

苦しい場所だと、みんな簡単に誰かを傷つけたり、批判してしまう。

会社を批判しても、他人を批判しても、きみがそこにいるなら、何にも変わらないよ。

 

苦しくて自殺するぐらいなら、今すぐにやめちまって、

ぼーっとしてほしいよ。

女に走ったっていいし、毎日エロ本読んでたっていいよ。

 

金がなかったら苦しいよね

 

でも、本当にたいせつなものや、感動に出逢うかもしれないよ。

つっ走り出した勘違い野郎の僕を、沢山の人が支えてくれた。

今は名前も忘れた飲み屋のおばさん、通りかかったヤクザな兄ちゃん、大学生だった姉にはフラフラ期を支えられた。

千川に住んでいた暴走族関係しか友達がいない友人に久々に再会し、彼の実家に何度も居候した。

そいつの母さんが、「もうずっと住んだっていいよ」と言ってくれた時、本当に嬉しかった。でも「絶対に家を借りよう」ってその時、心に決めた。

 

とにかく、死にそうなぐらい苦しかったら、とにかく、死ぬなって伝えたい。

 

僕 がきみに会えているのだって、中学校の頃、ヤンキーとケンカして死にたくなってベランダから外を眺めていて、「死ぬのはあいつを今日殺して、それからだ」 とカッターをもって学校に行ったり、、そいつに会うと「殺すまで憎くはないな」と思えてダラダラまた死ぬ機会を逃した。

FC琉球でのあの日、「やめます」と言えなかったら、僕はどうなっていたかわからない。

とにかく、従来の「きみ(名前)(生まれ)(育ち)(親や他人の期待通り)」の人生から外れたその先は、
予測できない範囲なんだ

だから、自分には才能がないとか、俺はうまく行かないとか、自分の今まで経験してきた知っている範囲で考えちゃ駄目だ。

もっと知らないことが沢山あって、出逢ったことのない人達が未来で待っている。

きみが生きているだけで、もしかすると、素敵なことがあるかもしれない(きっと、今苦しいのなら、それよりは素敵なことが必ずあるはずだよ)

夢をもって頑張れ、と言っているんじゃない。

もっと、クズでいいし、汚くていい。弱くていい。正直でいい。

死ぬぐらいなら「しっかりしたやつ」なんかになるな。

僕の芸を好きで居てくれて、何かが響いているなら、きみにはきみの中の真っ赤な美しい魂が流れているんだ。

それは僕の友達だ。

 

どんな事をしてでも、生きてくれ

くやしいだろ

くやしさを忘れるな

 

踊り手として言っておきたいことがある。

きみがどんなに能力がないやつでも、クソ野郎だとしても、誰もきみの尊厳を傷つける権利はない。

命の尊厳は、能力や才能というような小さな問題じゃないからだ。機械社会クソくらえだ。

蔑まれたら疑え。きみは何故、「仕方ない」と泣き寝入りするのだろう。

闘えなかったら逃げ出せ。放棄しろ。きみを傷つけている場所から。

心が苦しくなったら、その苦しんでいるたった一つのきみの命のためだけに、きみの何かを賭けてみることだ。

きみのために思考し、生きろ。

他人から「わがまま」と嘲笑される大切なきみを守れ。

その道は、険しい道かもしれない。

でも、嘘をつくことを強要され、「上司」に気を使い、「能力」が上な奴らから蔑まれることよりは、苦しくない。
頑張れ。

 

 

2015

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岡部西小学校での講演(一年生から六年生、教師たちに向けて。父母多数。)
演題「僕の仕事」

 

(25分のパフォーマンスを終えた後に…)

 

これが何か知ってるかい?(千円札を見せて)
お金だね。
君たちのお父さんやお母さんが一生懸命働いてやっと貰えるお金です。

これはただの紙切れだよね

どうして大人は こんな紙切れ(お金)のために働くんだろう

僕はこれで(大道芸で)お金を貰う

時が違えば食べものや住まいだったはずだ

僕が生きるために必要なものを、人々はくれたはずだ。

またうたったり、踊ったりするまで生きぬくために必要なもの。

お金は 本当は やさしさなんだ

仕事もそう。本当は、誰かに何かをしてあげることなんだ

君たちは地球が出来て、今日まで続いてきた、命の先端にいるんだ。

君はお母さんから生まれて、お母さんはおばあさんから生まれ、おばあさんはひいおばあさんから生まれて、、、

ずっとずっと必死に生き抜いてきた命の先っぽに、今、君のからだは生きているんだ。

テレビや携帯がなかった頃。

ガスも電気も水道だってなかった頃。

自分たちの家を自分たちの手で建て、狩りをし、火を焚き、肉や魚を喰ったり。

そこには君の古いおじいちゃんだっている。
その一番先に、今、君がいきている。

誰かに優しくした時、うれしいよね。

された時、うれしいよね。

カラダが、喜ばない?
それは君まで命をつないできた沢山の人たちも、一緒に喜んでいるんだ。

そうやって、苦しい時や悲しい時、みんなみんな命を繋いできたから。

惨めでも、負けっぱなしでも、どうにか生きてください。

あとひとつ、素敵なことがあるまで。

もうひとつ、素敵なことがあるまで。

そうやって生き抜いてください。

君が今、生きていることこそ、君に命を繋げてくれた人たちの夢や希望だからです。

 

今回、僕は子どもたちに夢や希望をあたえてほしいと、言われ、ここにやってきました。

夢や希望とはなんだろう

希望や夢とは、他人から与えられるものでなく、絶望と出会って目の前が真っ暗になった時に君自身が、たった一人で、生み出し、握る、小さな光です。

悲しいなとおもいながら、とぼとぼあるく一歩だったり、膝を抱えてたったひとり息することだったり‥

君たちは、中学生になったら「中学生」になれると思いますか?

高校生になったら「高校生」に‥、大人になったら「大人」になれると思いますか?‥

今の君がね、未来にいるだけなんだよ

頑張れって自分に言い聞かせて生きる君が。

 

最後に、僕の仕事ですが、

僕の仕事は、そうやって頑張って、たった一人の自分を生きることです。

 

これで僕の話は終わりです。

 

 

 

 

※本番はこの内容を元に、その場で絵を描くように少しの言葉で話しました。

 

誰にも言えないけれど、実はとっても、淋しいと感じている子に、届けばいいと思い、構成しました。

 

 

 

2016.2.16   知念大地
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セバスチャン・サルガドの写真を初めて見た日

労働者の身体の美しさ、難民の、美しさに驚いた(大切な問題があると思った)

携帯電話の待ち受け画像にしていた時期もある

 

僕が高校に入り、コンビニ外でお菓子を食っていた頃、サルガドは難民を撮っていた。

ルワンダでの大虐殺に、遭遇し、人間を信じられなくなっていた

僕が大道芸を始めた頃、絶望し故郷に帰ったサルガドは、妻の発案から自身の荒れ果てた土地に樹を植えはじめた

機関銃で撃たれながら逃げ惑う人々。虫けらのような命。難民の行き着く先、彼らが生涯抱える問題を思うと、苦しい。難民の宿命。

サルガドが写した魂の震えは、時を経て、埼玉の片隅にいる僕の心臓へ、真っ直ぐに響いてくる

今、私たちがいるこの場所から過去にさかのぼっていくと、必ず戦争と、大虐殺と、拷問に行きつく

生きるってことは、生きているってことは、

現在進行形中の全てを、抱えているってこと。

楽しんで生きるのも、悲しいとつぶやくのも、知ってしまった人類史という大きな物語の中で。

そして、それをふまえた上で、楽しめないから、僕は、踊る

悲しみをなくしたいわけじゃない

しあわせになりたいわけじゃない

納得した生き方を 生きたいだけだ

 

 

 

 

2015.11
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「ある日の憂鬱」

 

 

義足ランナーを見た

 

世界陸上。

 

みんな感動するのかな

俺はしなかった

 

違和感

 

TVも新聞もニュースも。

走る前のストレッチから横の人そっちのけでカメラ5台くらいが取り囲む

 

同じ汗流して苦労してきた人間なのに。

となりの黒人が勝ったら悪いようじゃないか。

 

僕はその黒人に同情してしまう

 

義足ランナーの話だけど、僕は報道に問題があると思う

あのTV報道の感動を誘発しようという狙いに、臭いに、僕は悲しい事にまず、その義足ランナーを拒絶してしまう

 

スタート前のランナー、皆の顔をサッと映つし、テレビの前で視聴者が、

「あぁ、今義足の人がいたな」

それでいいのではないか

 

「義足はハンデキャップなのか?」

「バネ付いてて普通の足より早く走れるんじゃねーの?笑」

 

なんて会話があったっていい

 

報道の要らぬおせっかい

それがまかり通っている社会に僕は失望する

それによって綺麗に泣く人に僕は失望する

 

おれが見たいのは空なのだ

真っ白な空を見せておくれ

 

今日の夕焼けは明日への希望か

過去の淡い思い出か

 

浮かべるのは俺の自由だ

 

結局世界中が注目する中、義足ランナーは負けてしまったけれど

僕は胸が引き裂かれる思いだった

 

大変だっただろう

 

俺みたいなグジグジうるさいやつがいる事も知っていて

自国の選手にも他国の選手にも気を使い、報道にも首を傾げた日があったに違いない

気持ちとは裏腹に、またはラッキーか、、金も降ってきただろう

 

よく走った

 

お疲れさん

 

全部抱えて思いっきり前に走ったその足に僕は拍手するよ

 

走るから、傷つくんだ

走るから、わらうんだ

 

ありがとう

 

 

 

 

2011.8.31
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書くのどうかと思ったんだけど書きます。今日は代々木にryuちゃんに誘われたんで
遊びがてらチャリティー大道芸

投げ銭全部募金に回すってヤツ

代々木公園のHHKホールがある通りに福島産の野菜や、募金箱がずらっと並ぶ

ユニセフ、足長募金、その他機関が若者、子供、アルバイト?、ボランティアに募金箱を持たせ、両サイドに連なっていた

ステージでは江戸はるみやそこそこ有名なお笑い芸人、歌手。

江戸はるみは終わったあとに「今日はどのような気持ちでステージに立ったのでしょうか…」と聞かれていて笑った

代々木公園がどよんと暗い

ただ歩いている人を無理やり捕まえて、バイトの子が「アクション for japan」のプラカードを持たせ写真を取ろうと必死

歩こうものなら「被災地ではたくさんの人が死んでいます。親をなくしています」の連呼

そんな中に、俺たちは出て行った

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俺たちの仕事はよぉ

目の前の人と勝負なんだ。

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子供が、大人が笑い出す

歓声を上げる

お涙頂戴から復興なんて無理だぜベイベー

頑張ろうなんて当たり前なんだよバカヤロー

 

代々木公園の乞食のすぐ横で募金、制服作ってきれいなカッコで集めてる

しまいにはそばのユニセフなんて、こっちに募金が入らないからやめろなんて言ってきた

何時間か見てたけど、道行く人、どこの募金箱にもほとんど入れなかったぜ

だってよ、もーうんざりじゃねーか

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俺たちは終わったあと、「面白いと思った人!テキトーに入れて帰ってくれ!」ってユニセフ指差したり、募金箱指差したり。

で、みんな笑いながらバッと入れる

札だって入れる

シダックスの企画した人なんか喜んじゃって、途中から一番いい場所でやらせてくれた
募金してもいい

しなくてもいい

みんなみんな、それぞれの人生を背負ってるんだ

だからそれでいい

全部いい。

 

 

2011.5

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「ヨーロッパでの話」

 

アビニオンにはじまり、ドイツ、スイス、オーストリア、パリ、ホテルに泊まるだけの国もあったけど、確かにそこに小さな自分がいた

妥協しなかった

もうこいつらとは会えないんだなそう思いながら笑い合う日々は格別だった

苦しかった

だからこそ、俺は今綺麗な月を見ている

電車に乗った

座席もわからないから(というかめんどくさいから)十何時間か車両の間で寝ていた

パリに降りた

黒人の大柄な奴になめた目で「タバコ」と言われ「ファックオフ」といったら集団で付けられて人の多い道を逃げるように歩き、とりあえずタクシーに乗った

帰る前に遊びちぎろうとおもって2日間取った目標と冒険のないパリは、ただのおもちゃだった

日本からパリ、シャルルド空港に降り立ってTGVですぐアビニヨンへ直行した

その一瞬のパリが俺のパリだったのだ

帰りの飛行機

ここを離れたくなかった

とびったって幾らか、ヨーロッパに住む事ばかり考えていた

成田に着く。

切なかった。

外国かぶれでもなんでもない

芸は外国が進んでいると言うのも僕にはわからない

実際街角や、アビニヨン、フェスティバルで行われていた芸に心が震えた事はなかった

ただ、俺は生きる事に必死だったのだ

住んでいない分、政治だってなんだって関係ない。去り行く身。

過ぎ行くその日の路上が俺のプライドであり、即人生だった

だめだったら、糞なだけ。

何しにきたんだジャパニーズ

余分な物なんて要らなかった。

さっき、イタリアから今年の夏のフェスティバル、オファーのメールが届いていた

オーストリアまで芸人を探しにきていた少し痩せた男の人だった

今年、フランスでも仕事がほぼ、決まっている

行けるなら、他の国も回るつもり

あの日、愛だけを置いて行きたかった。

またさけんでやる

大海を裸で泳ぐ

あの冷たさを全身に受けて、笑いがつき上がってくるような

大道芸は刹那的と思う

時たま、虚しさに襲われる

思い出は形を変え、背中を押すかと思えば足かせになり、そして、願いとなる

好きかはわからない

岡本太郎は「血をながしてにっこり笑おう」と言ったけれど

きっと自由とは、そう言うものなんだろう

誰も知らない路上の上で

叫んでみろ

叫んでみろ

生きてるかい?

笑ってるかい?

俺の心よ

愛しているぜ

俺の心よ

ありがとう

 

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2011.1.18

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「なぜ書くか」

きっと流されないために書くと思う

忘れないように書くのだと思う

それはスイスあたりの崖っぷちの岩に指をかけて

爪が剥がれそうになりながら

血を感じながら

それでも忘れないように

書いては消し、書いては消し

俺は威張っているのか

能書きを足れて人気者になりたいのか

それがいやで書いては消しかいては消し

でもずっと心にあるもので。

小さな頃、子育てのためにオヤジが山の中に二階建てのおんぼろ家を借りた

裏は河原でいつも誰かが家に遊びにきていた

おかんが帰ったら家に知らない人がいて「いらっしゃい」と言われたそうな

良く皆で火を囲んで焚き火をした

俺はおかんが弾くフォークソングが大好きでよく歌ってとせがんでいた

夜、横で寝ていたおかんが居ないので真っ暗なギシギシ叫ぶ階段を上った

ただっぴろいあまり使われていない月明かりが差し込む二階で一人ロウソクを何本も焚いていた

わからないけど、嬉しかった

あれは小中の頃、団地に越して宗教にはまった親に気を使いながら、良く笑うようになった

たまに親父の弾くギターが好きだった

学校ではヒップホップやスカ、コアがはやり、頑張ってCD借りてみたけど

やっぱりいつも聞くのは

家にある古くさい寺尾聡なんかのフォークだった

ひょんな負けん気から始まったサッカーに挫折し

上京していろんなバイトをした

そんな中池袋で出逢った大道芸に夢を見た

人に何かしてあげたい

そう思ってこの仕事に就いた

夢とわかった時

悩む事が多くなった

世の中は変わらない

今日も誰かが夢で飯を食って

今日も誰かが夢で自分を癒して。

僕はいつだって弱いままで

また変える事も真実かわからないまま

大人になり

それでも今

なぜ書くのか

なぜ歌うのか

見せるか見せないかの話で

ずっと心にあるもの

きっとそれが僕にとって

大切なんだと思う

 

 

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2011.1.
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「独房での話」

 

 

ゆきなと話していて、なんとなく書きたくなったので…
実は最近まで、風呂なし共同トイレ、四畳半に住んでいたんですよ

鍵なんてよく「おしゃれ~」なんて見るアンティーク屋さんのあれですよ

友達の家にいった時、その友達の奥さんの携帯電話アクセサリーが俺んちの鍵に似てた事がありまして

いつもアンティーク屋さんで気になっていたもんだから、

無理いって貸してもらって名探偵コナンに良く出てくる古墳型の俺んちの鍵穴にさした事があります

さすがに開きませんでした

半年住んだんですが夏の昼間なんてとなりのマンションのクーラー熱で部屋の中が40度超える訳です

もちろん僕の牢屋にはクーラーなんてつけられません

古いから多分壁ごとはがれ落ちる

汗かいて上半身裸で壁にもたれたら、壁がはがれて背中にくっついた事があり、壁には粘着性のある体でもたれないようにしていたくらいです

そんで話もどるんですが、

暑すぎて死ぬなと思ってどこに逃げようか考えたところ、図書館を思いつきいった所、隣に住んでいるおっさんが本読むふりして寝ていたのを思い出します

6つ部屋があるうちの二つはお店の物置になっていて

4つは人が住んでいる

僕の向かいはイラン人のおっさん(イランっぽい)

咳一つ、完全にみんな聞こえる訳です

筒抜けです

夜中にいちゃいちゃ女の子と電話しているのを聞きながら寝ていたら突然キレて「だから頭悪い女の子はきらいだよ!」と半年聞いた中で一番でかい声を出し、住民全員を敵に回した2010年度下半期、やってしまった記録保持者です

寝る頭の方はすごい貧乏そうなおじいさん

心まで貧相になった顔だったな

もう住んでいる人みんな人間不信でね

人とあうのがいやなんですよね

この生活が、自分が、いやなんでしょうね

共同トイレというのに誰一人として被りませんでした

みんなわかるんですよね

「あ、今あいつトイレいった」みたいな

僕がドアを開けるとバタンとそのおじいさんはドアを閉める訳です

一回帰りに出くわしてね

階段あがっていったら人の気配があると思って左をむいたら下を向いて存在を消している訳です

引っ越した当初、顔は見えなかったけど、そのおっさんが確実にのぞいているのはわかったな

最初は「ときわ荘」みたいで「この風情ある建物いいなー」なんて思ったけど

完全に違うと感じたね

「こわい」みたいな

そして夏の暑い日です

そのおじいさん、暑すぎてたまらなくなったらしくドアを開けて全裸で寝ていました

玄関開けたらトイレ帰りのおっさん、廊下をマッパで走って行ったのも目撃したな

でもわかる。トイレのためだけに服着るのめんどいもんね

あとの二つはサラリーマンと、一度もあった事はないけど夫婦が住んでいた

料理作る音とかテレビの音とかよく聞こえたな

しゃべる声はたまーに

なんか切なかったな

けっこう歳いってる感じだった

孫もいるだろうに、言ってないんだろうな

暑い日なんか本当に死んでないか毎日タンス開けて奥のベニアに耳貼付けて確認した

サラリーマンはもう50歳こえたくらいの人だった

感じのいい人だった

たまに朝、下駄箱で新聞とっている所で漫画喫茶から帰ってきた俺と出会わせて

挨拶したな

くっさそうなスーツ着てね

「いってらっしゃい」って玄関開けたら「ありがとう」って吉祥寺の人ごみに消えていった

吉祥寺駅から徒歩7分の物件なんだよ

それで25000円

もう毎日地震来たら俺は死ぬんだって死がまじでそばにあったね

風呂だって4日はいらなくて普通だった

大道芸してもしなくてもね

「あぁ、まだ漫画喫茶のシャンプーの臭いするなぁ、大丈夫」みたいな

だからワインとかジョース被りまくってたのはまじで生きてるって感じだったな

今日はずぶ濡れで寝るんだななんて思いながらね

実際引っ越した後に捨てたぺらっぺらな布団にはワインやジュースのしみだらけだった

ロックが何かわからないけれども、ロックだったね

さっきのサラリーマンのおっさんなんだけど、人ごみにまぎれると、あまりわからないんだよね

でも、わかるよね

俺は一緒に住んでるんだもの

「がんばれよおじさん」って思ったね

そういえば久々に友達と飯食いにいった時ね

そいつがいきなりテンションあがって「久しぶりだなぁ」って頭をさわるわけ

反射的に「やめれぇ」ってキレて

「ふけが落ちるだろう」と言った事があったな

そんな家に住んでるのに外出時は昔買った大切なバーバリーのコートだからね

玄関の鏡の前で笑った

そこからフランスいって韓国行って…秋の三茶、厚木、いろんなフェス行って…

去年のヘブンアーティストin東京で腰いためたとき

ゆきなが家まで送ってくれた

演劇少女ゆきなが「段ボールのような扉」と表現していたドアを開けて部屋を見て言った最初の一言が

「くっさ!!!」でした

その後部屋で死んでたら消臭剤とファブリーズ買ってきて

畳に転がってうなっている病人の俺に、全力でファブリーズふりかけてた

特に頭に。

笑って腰いたくなって大変だった

その後熟睡できてね

どんだけこの部屋ヤバっかったんだよって思ったよね

それまでは夜寝たらかゆくなるから、朝、涼しくなってから寝てたんだよ(これが普通だった)

楽しみもあったね

夏はスーパーから保存用の氷もらってきてクーラーボックスに入れてさ(冷蔵庫がないから)148円のジントニックの

カンカンきんきんに冷やして飲むのが最高だった

これは冷蔵庫じゃ絶対に味わえない

今思う

部屋の暑さといい明け方、溶けてしまう氷といい

実に王様気分だったね

最初はすぐ出るつもりだったけど、だんだん知りたくなってきてね

町を出ても気づくようになった

あ、この人っ風呂ないなとか

この人家ないなとか、

俺は家がある、水も出る。冬にブルーシート畳にしいて、震えながらシャンプーしながら俺は幸せなんだなとか思ったりしてた

聞くと結構みんなこういう暮らししてきてるんだね

「誰がくさそーな部屋行くかよ」って言ってたけーぼーもそうだし

ヨーロッパの町並みのような美しいアクロバットを目指して汗流してるしてるジーチョコマーブル、ジェンちゃんもそうだという笑

周りの大人に結構経験者がいて「がんばれ俺」みたいなのがなんか恥ずかしかったな

知りたかった

でも俺はずっとここにいる訳じゃないし、仕事もある

その仕事で返ってくる喜びもある

親もいる

仲間もいる

だから知れないなと思った

昔顔がひんまがった障害者たちに芸を見せた事がある

へんな顔したら笑うんだよね

その子は

俺が普通の顔を崩した事を知ってるんだ

そんでもっと変な顔をしてきたりする

自分自身の事を卑屈に思ってないんだね

普通なんだ

もしかしたら俺の方が障害者かもしれないと思ったね

老人ホームにボランティアの依頼で行った事がある

俺はそんな暮らししててさ

行ったら高級老人ホームでね

カラオケあってビリアード場あってプールあって図書館あって…

それこそ一ヶ月で施設代100万くらいする所なんだよ

人を馬鹿にするなと思うと同時に

俺も老人ホーム、老人を馬鹿にしてたなと反省した

孤児院に行った時も俺よりいきいきしてるのもいれば

あたりまえに暗いやつもいる

芸見るより絵書いたり、大好きなTV番組見るのの方が好きなやつもいる

それからだね

どこでも金をもらうようになったのは

話がそれたけど独房での話

去年は半分そこにいた訳で

今で思う楽しい時間だった

話は尽きないね

生きてるから

引っ越す前日になぜかいつもと頭を逆にして寝たんだよ

隣の夫婦が蛇口ひねってね

寒い夜だった

キュポンって家が浮いたんだよ

あれがラストジョークだったね

ありがとう

飯田荘

住んでる皆に幸あれ

 

 

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2010.
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あるところにトランペット吹きがおりました

 

悲しい時に吹き

うれしい時に吹きました

 

散歩道、悲しんでいる人がおりました

 

とおくのほうからかすかに聞こえるくらいにトランペット吹きはふくのでした

 

散歩道、「なんだいその金ピカの楽器は」

 

すこし恥ずかしそうに吹いてみせました

 

散歩道、パーティーが行われておりました

「一曲吹いてくれないかい?」

 

トランペット吹きは喜んで一曲を贈りました

 

散歩道、子供がうずくまっておりました

 

トランペット吹きはただそばに座ってやりました

 

散歩道、葬儀がおこなわれておりました

「なにか一曲、吹いてやっとくれないかい?」

 

トランペット吹きは迷いましたが、静かな、昔、友人に贈ったメロディーを演奏しました

 

ある人は才能があるっていいねといい

またある人は孤独でしょうと同情するのでした

 

ある人はトランペット吹きが泣くように遠くで吹くとき

ひとりじゃないよ  そう肩をたたきました

 

ある人は風来坊とばかにし

ある人は子供だと言いました

 

でも、トランペット吹きが幸せの音色を奏でるとき

皆、その音色にあこがれるのでした

 

トランペット吹きは慰めませんでした

トランペット吹きは励ましませんでした

 

やがて愛する人ができ、こどもがうまれました

 

トランペット吹きはしあわせでした

 

そこから先は、まだ、僕にはわかりません
屋根の上のトランペット吹き
-終わり-

 

 

2012